上原あやか──1997年の真夏、宇宙企画が描いた「メルヘン」のなかにいた少女の「兎の眼」
90年代後半のビデオショップの照明の下で、パッケージに印刷された女優たちの瞳と視線が合う瞬間、まるで自分だけが彼女の秘密を共有してしまったかのような錯覚に陥ることがありました。数多くの美少女たちが綺羅星のごとく現れては消えていった1997年という時代において、ひときわ純度の高い「少女の物語」をまとって私たちの前に現れたのが、上原あやかさんでした。
90年代後半のビデオショップの照明の下で、パッケージに印刷された女優たちの瞳と視線が合う瞬間、まるで自分だけが彼女の秘密を共有してしまったかのような錯覚に陥ることがありました。数多くの美少女たちが綺羅星のごとく現れては消えていった1997年という時代において、ひときわ純度の高い「少女の物語」をまとって私たちの前に現れたのが、上原あやかさんでした。
ひとりの女優が名前を変えるとき、そこにはどんな心の揺れ動きがあるのだろうかと、ふと思うことがあります。かつての純真な自分を脱ぎ捨てて、まだ見ぬ新しい自分へと生まれ変わろうとする決意なのか、それとも、時代という大きな波のなかで流されまいとする精一杯の抵抗なのか。90年代の終わりに私たちの前を駆け抜けていった彼女のことを思い出すたび、私は彼女がまとったいくつかの名前と、その奥で変わらずに輝いていたあの小柄な少女の瞳を思い出さずにはいられません。
1997年という年が幕を開けたばかりの、あの少しけだるくも華やかなお正月の空気を、私は今でも昨日のことのように思い出します。こたつに入りながら何気なく眺めていたテレビの特番、いわゆる「27時間テレビ」の画面のなかで、私の視線は突如としてひとりの女性に釘付けになりました。それが、のちにAV女優として忘れがたい軌跡を残すことになる、舞島美織さんとの出会いでした。
90年代後半の深夜、部屋の明かりを消して見つめたブラウン管の向こう側には、昼間の日常とはまるで違う、少し妖しくて甘美な世界が広がっていました。テレビ東京の『ギルガメッシュないと』が放っていたあの独特の熱気のなかで、あるいはレンタルビデオ店の棚に並ぶ無数のパッケージのなかで、ひときわ異彩を放ち、私の視線を釘付けにしたひとりの女優がいます。1997年に鮮烈なデビューを果たした、メイファさんです。
90年代後半のビデオショップの片隅で、数え切れないほどのパッケージが並ぶ棚を見つめていたあの頃。ひときわ鮮やかに私の目を奪い、そして心を掴んで離さなかったひとりの女優がいます。1997年の春、まるで季節の変わり目の突風のように現れた、夏樹みゆさんです。
ビデオテープの磁気の匂いと、レンタルショップの少し埃っぽい蛍光灯の光を思い出すとき、私の記憶の奥底から決まって浮かび上がってくるひとりの少女がいます。1997年という、世紀末のどこか浮足立った空気のなかで私たちの前に現れ、そしてあっという間に駆け抜けていった女優、井上詩織さんです。
1990年代の半ば、深夜のレンタルビデオ店の少し冷たい空気の中を歩きながら、棚に並ぶ無数のパッケージに視線を巡らせていたあの頃。新しい時代の熱気と、どこか世紀末に向けた独特の切なさが入り混じっていた1996年という年に、私たちの目の前に現れた「七瀬あゆみ」という女優のことを思い出すとき、胸の奥にじんわりと温かく、そして少しだけほろ苦いノスタルジーが広がっていく。
1996年の暮れ、街が年末の慌ただしさと冬の冷気に包まれていた頃、ビデオショップの棚でひとつの静かな、しかし確かな存在感を放つ作品に出会った。KUKIから12月28日に発売された『序章』。それが、のちに私たちの記憶に深く、そしてどこか切ない余韻を残すことになる女優「紺堂つかさ」との最初の出会いだった。
1990年代の後半、ビデオショップの棚を彩っていた数多くの女優たちの中で、小柄で守ってあげたくなるような美少女とはまったく異なるベクトルで、私たちの視線を釘付けにした存在がいた。スラリと伸びた長い手足、高嶺の花を思わせる凛とした佇まい、そしてその気品を自ら裏切るかのように放たれる濃厚なフェロモン。1996年の暮れに現れ、翌1997年というわずか1年あまりの季節を猛烈なスピードで駆け抜けていった「寿綾乃」という女優を思い出すとき、私の胸には今も、あの圧倒的なプロポーションが放っていた熱量が鮮やかに蘇ってくる。
1990年代の後半、ビデオテープのパッケージが放つ熱気の中に身を置いていた私たちにとって、時に「これは本当に現実の存在なのだろうか」と息を呑むような美少女に出会う瞬間があった。まるで一陣の涼やかな風が吹き抜け、振り返ったときにはもうそこに誰もいないような、圧倒的な透明感と儚さ。1996年に現れ、わずか1年あまりの活動期間で私たちの記憶に消えない楔を打ち込んだ「風吹あきら」という女優を思い出すとき、私の胸にはいつも、少し切なくて甘美な疼きが蘇ってくる。