桃瀬ゆり ── 帰国子女の「奥様」が求めたのは、愛か、それとも罰だったのか

2015年10月。 プレステージから「従順過ぎるパイパン人妻」というキャッチコピーと共に現れた一人の女性。 桃瀬ゆり。 彼女の第一印象は、まさに「高貴な奥様」だった。 160cmの整ったプロポーション、知性を感じさせる顔立ち、そしてどこか日本の湿り気とは違う、乾いた風のような洗練された雰囲気。 それもそのはず、彼女は長い海外生活を経験した本物の帰国子女であり、流暢な英語を操る才女だったのだから。

彼女の最大の魅力。それは、「洗練された知性」と、その奥底に隠された「深い闇と渇望」のアンバランスさだ。

画面の中で微笑む彼女は、とても美しい。 けれど、その美しさにはどこか、触れてはいけないような危うさが漂っていた。 後に彼女自身が語った「宗教2世」としての苦悩や、「罰せられたい」というAV出演の動機。 それを知ってから彼女の作品を見返すと、あの激しい絡みや、恥辱に塗れる姿が、まったく別の意味を持って迫ってくる。 彼女にとって、カメラの前で乱れることは、単なる演技ではなく、ある種の「救済」を求める儀式だったのかもしれない。 英語交じりの喘ぎ声や、理知的な瞳が快楽(あるいは苦痛)で曇る瞬間。 そこには、フィクションでは描けない、一人の人間の魂の叫びが刻まれているように見えた。

引退後も、彼女は自身の言葉で発信を続けている。 かつて僕たちが消費していた「桃瀬ゆり」というアイコンは、今、一人の女性として力強く生き直そうとしている。 その姿を知ることで、彼女の過去の作品は、より一層美しく、そして切なく輝きを増す。

桃瀬ゆり。 彼女は、美しさと業(ごう)を併せ持った、忘れがたいミューズだ。 あの時、画面の向こう側で彼女が見ていた景色は、どんな色をしていたのだろう。 僕たちは彼女の肢体に夢中になりながら、本当は彼女の孤独に触れていたのかもしれない。 その複雑で深遠な魅力は、引退して時が経った今でも、僕たちの心に静かな波紋を広げ続けている。