八神康子 ── 昭和の闇に咲いた「薄幸」の華。その眼差しは、永遠に僕たちの心を縛り続ける
1984年。 バブル景気へと向かう世の中の喧騒とは裏腹に、AV業界の片隅に、あまりにも「影」を帯びた一人の女優が佇んでいた。 八神康子。 彼女の名前を聞いて、胸の奥がざわつくのは、きっと私だけではないだろう。 現代の明るくポップなAV女優たちとは、決定的に何かが違う。 彼女が纏っていたのは、昭和という時代特有の「湿り気」と、触れたら崩れてしまいそうな「儚さ」だった。
彼女の最大の魅力。それは、不幸であればあるほど美しく輝く「悲劇のヒロイン性」と、緊縛のロープさえも衣装に変えてしまう「退廃的な美貌」だ。
日活ロマンポルノ出身という経歴が裏打ちする、確かな演技力。 しかし、それ以上に彼女を彼女たらしめていたのは、その瞳だ。 何かを諦めたような、あるいは助けを求めているような、あのアンニュイな眼差し。 画面の中の彼女は、決して心からの笑顔を見せることはなかったように思う。 だからこそ、彼女が快楽(あるいは苦痛)に歪む表情を見せるとき、私たちは見てはいけないものを見ているという強烈な背徳感に襲われたのだ。
特に、彼女と「縄」の親和性は、もはや芸術の域に達していた。 白く華奢な肢体に、無慈悲に食い込む荒縄。 そのコントラストは、残酷なはずなのに、どうしようもなく美しかった。 彼女は、縛られることで自由になっているようにも、堕ちることで昇華されているようにも見えた。 「団地妻」や「未亡人」といった役柄においても、彼女が演じると、そこには生活の疲れと、女の業(ごう)がリアルに滲み出し、ドキュメンタリーを見ているかのような錯覚に陥る。
八神康子。 彼女は、昭和のエロスが到達した、一つの極北だ。 あの頃、ビデオテープの粗い画質越しに見た彼女の姿は、今も私たちの記憶の中で、静かに、そして妖しく息づいている。 彼女が残した「影」の美学。 それは、どれだけ時代が変わろうとも、決して消えることのない、男たちの心の奥底にある「嗜虐心」と「庇護欲」を、永遠に縛り続けているのかもしれない。

