藤かんな──聖域の光を自ら脱ぎ捨て、生身の人間として再生した物語
それは、事件だった。 私たちの記憶の中で、キラキラとした衣装をまとい、無数の観客の歓声を浴びていたはずの少女。恋愛禁止という厳しい掟の中で、純潔の象徴として輝いていた、あの「国民的トップアイドル」。 彼女が、「藤かんな」として、私たちの前に再び姿を現した。あまりにも衝撃的な、あまりにも官能的な姿で。
そのデビューを知った時、脳が揺さぶられるような感覚に陥った。信じられない、という感情と、見てはいけないものを見てしまう、という背徳的な興奮。そして、その奥にあったのは、彼女がどれほどの覚悟を持って、この場所に立っているのかという、畏敬の念にも似た感情だった。
光の世界から、影の世界へ。 人々はそう言うかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。 厳しいルールに縛られ、本当の自分を押し殺し、作られた偶像として生きること。それこそが、彼女にとっては「影」だったのではないか。 そして、自らの欲望を、感情を、ありのままの自分を解放できるこの場所こそが、彼女が初めて見つけた、自分らしくいられる「光」だったのではないだろうか。
彼女の作品に触れることは、一つの神話を汚し、同時に、新しい神話が生まれる瞬間に立ち会うような体験だ。 アイドルとして身体に染み付いた、洗練された仕草や、気品のある佇まい。その清らかな器の中に、生々しく、抑えきれないほどの情熱が注ぎ込まれていく。その、聖と俗が混じり合う瞬間の、あまりにも激しく、あまりにも美しいコントラスト。私たちは、その危ういほどの魅力から、もう目を逸らすことができない。
これは、堕ちた天使の物語ではない。 これは、偶像であることをやめ、「一人の人間」になることを選んだ女性の、力強い独立宣言の物語だ。 彼女は、誰かに与えられた光ではなく、自らの内側から発する熱で輝くことを決めたのだ。
藤かんな。 彼女がその身に刻む物語は、あまりにもスキャンダラスで、あまりにも切なく、そして、あまりにも勇敢だ。 私たちは、この現代に生まれた、最もドラマチックな再生の物語の、最初の目撃者なのである。