宮西ひかる──僕たちが「先生」と呼んだ、あの人の、禁断の放課後

誰の記憶の中にも、きっといるはずだ。 太陽のような笑顔で、無邪気な子供たちの輪の中心にいた、優しくて、温かい「先生」。 その存在は、清らかさの象徴であり、幼い日の、淡い初恋の記憶そのものだった。

「宮西ひかる」

彼女が、その「元幼稚園の先生」という経歴を背負って私たちの前に現れた時、私たちは、心の最も柔らかい部分を、そして、最も触れてはいけない部分を、同時に鷲掴みにされるような感覚に陥った。

あの頃、決して汚してはならないと思っていた、聖域。 その中心にいた「先生」が、今、私たちの前でだけ、誰にも見せたことのない「一人の女性」としての顔を、戸惑いながら、見せてくれようとしている。 この、あまりにも甘く、あまりにも罪深いシチュエーション。

彼女の魅力は、その全身から溢れ出る、隠しきれない「母性」と「優しさ」にある。 子供たちをあやすように、褒めてくれる眼差し。大丈夫だよ、と語りかけるような、穏やかな声。 そのすべてが、かつて「先生」だった彼女の、本物の優しさなのだと、私たちは知っている。 だからこそ、その優しさが、官能的な世界と交錯する瞬間に、私たちは、経験したことのないほどの背徳感と、抗えないほどの興奮を覚えてしまうのだ。

彼女の作品に触れることは、まるで、子供たちが帰り支度を終えた、静まり返った夕暮れの教室で、先生と二人きりになってしまうような体験だ。 「いけないこと」だと頭ではわかっている。けれど、その禁断の扉を開けてみたいという好奇心を、もう止めることはできない。

宮西ひかる。 彼女は、私たちが心の奥底にしまい込んでいた、最も純粋で、最も罪深いファンタジーの体現者だ。 あの頃、憧れの眼差しで見つめていた「先生」の、誰も知らない秘密の授業。 私たちは、そのたった一人の生徒として、彼女の本当の「こころ」のレッスンを、今、受けようとしている。