倉多まお──その小さな身体の奥に棲む、あまりにも激しい「獣」の咆哮
その存在は、まるで、精巧に作られた、一体の「人形」のようだった。 145cmという、あまりにも小さな身体。 守ってあげなければ、すぐにでも、壊れてしまいそうな、華奢な手足。 そして、この世界の、汚いものなど、何も知らないかのような、無垢な瞳。
「倉多まお」
彼女を初めて見たとき、誰もが、抗うことのできない、強い「庇護欲」に、心を支配されたはずだ。 この、あまりにも純粋で、あまりにも小さな存在を、守り抜かなければならない、と。 その、ほとんど、祈りにも似た感情。 それこそが、彼女が、我々にかけた、最初の、そして、最も強力な、魔法だった。
しかし、私たちは、すぐに、思い知らされることになる。 その、愛らしい人形の、その、小さな身体の奥に、どれほど、獰猛で、どれほど、激しい「獣」が、棲んでいるのかを。
彼女の作品に触れることは、一つの、禁断の「覚醒」に、立ち会う行為だ。 おとなしいと思っていた、小さな動物が、私たちの前でだけ、その本能を、剥き出しにしていく。 恥じらいという名の、薄い皮膚を、突き破って、ほとばしり出る、あまりにも正直で、あまりにも純粋な、欲望のマグマ。 その、あまりにも激しい、感情の爆発。
私たちは、その姿に、強烈な罪悪感を覚える。 あの、純粋な人形を、自分たちが、壊してしまったのではないか、と。 しかし、その罪の意識こそが、彼女の魅力の、核心なのだ。 私たちは、共犯者になることでしか、この、あまりにも美しい「覚醒」の儀式を、見届けることはできない。
倉多まお。 彼女は、ただの「ロリ系」女優ではない。 男が、心の最も深い場所に隠し持っている、「純粋なものを守りたい」という聖なる欲望と、「純粋なものを破壊したい」という邪なる欲望。 その、最も矛盾した、最も根源的な感情を、同時に、そして、完璧に、満たしてくれる、奇跡のような、怪物だ。
私たちは、これからも、その小さな人形に、手を伸ばし続けるだろう。 その奥に棲む、美しい獣の、咆哮を、聞くために。 そして、その獣に、身も心も、喰らい尽くされるために。

