山岸あや花 ── 僕たちの日常を彩った、気高き花
その名前を聞いたとき、僕の脳裏に浮かんだのは、春の陽だまりの中で可憐に咲く、柔らかい花びらのイメージだった。「あや花(彩花)」──その響きは、どこまでも優しく、愛らしい少女を連想させた。
しかし、2017年。僕たちの前に現れた「山岸あや花」は、そんな安易な想像を、あまりにも鮮やかに、そして美しく裏切る存在だった。
画面に映し出された彼女がまとっていたのは、「可憐さ」や「愛らしさ」といったものではなかった。それは、一瞬でこちらの背筋が伸びるような、圧倒的なまでの「気品」と、磨き上げられた「知性」のオーラだった。
元キャビンアテンダント──その経歴は、彼女の佇まいすべてに説得力を与えていた。一分の隙もないヘアメイク、洗練された所作、そして、穏やかな微笑みの奥に隠された、決して本心を見せないかのような、理知的な瞳。
彼女は、僕たちがそれまでに出会ったどの女優とも違っていた。 彼女の前に立つと、僕たちはまるで、高級なホテルのラウンジで、身分不相応な席に座らされてしまったかのような、居心地の悪さと、同時に抗いがたい高揚感を覚えたのだ。
なぜ、これほどの女性が、この場所にいるのか。
その疑問こそが、僕たちが彼女の虜になった、最初の入り口だった。 僕たちは、その完璧な「気品」が崩れ落ちる瞬間を、固唾をのんで待ち望んでいたのかもしれない。そして、彼女は、僕たちのそんな下世話な期待さえも超越する形で、応えてくれた。
作品の中で、彼女の理性のヴェールが、ゆっくりと剥がされていく。いつもは冷静なその瞳が、熱に浮かされ、潤んでいく。完璧だったはずの所作が、本能的な情熱によって乱されていく。
その変貌は、あまりにも背徳的で、そして、あまりにも美しかった。 気高い花が、泥の中で、より鮮やかな色を放ちながら咲き乱れる姿。僕たちは、その痛々しいほどの美しさに、ただただ心を奪われた。
「あや花」という名前は、彼女にふさわしい名前だったと、今になって思う。 彼女は、可憐に咲く花ではなかった。彼女は、僕たちの退屈な日常や、心の奥底に眠っていた欲望を、その気高い美しさで鮮烈に「彩る」花だったのだ。
彼女が「山岸あや花」として僕たちの前にいた、あの季節。 あの完璧な気品と、それが崩れる瞬間の切なさを、僕はきっと生涯忘れることはないだろう。

