宝田もなみ ── 雲の上から舞い降りた、孤高の白鳥(しらとり)
2017年という年、僕は、言葉通り「規格外」の存在に打ちのめされた。「宝田もなみ」。その名前が持つ響き以上に、彼女の「姿」が放つオーラは、それまでの僕の常識をいともたやすく破壊していった。
画面に映し出された彼女を見た瞬間、まず感じたのは「畏怖」だったかもしれない。170cmを優に超える、圧倒的なまでの長身。まるでパリコレのランウェイからそのまま抜け出してきたかのような、完璧なモデルプロポーション。彼女がそこにいるだけで、ありふれた日本の部屋が、非現実的な舞台装置のように見えた。
彼女は、僕たちに安易な「親近感」や「癒し」を与えようとはしなかった。 切れ長の瞳、すっと通った鼻筋、そして、決して媚びることのない、静かでクールな表情。その佇まいは、まるで僕たち下界の人間を見下ろす、気高き「高嶺の花」そのものだった。
僕たちは、そのあまりの美しさと、手の届かなさに、ただため息をつくことしかできなかった。 「可愛い」のではない。「美しい」のだ。 「親しみやすい」のではない。「孤高」なのだ。
だからこそ、僕たちは狂おしいほどに焦がれた。
あの完璧なポーカーフェイスが、もし、僕だけのために崩れたとしたら。あの気高い白鳥が、もし、僕の腕の中でだけ、その純白の羽を乱したとしたら。
彼女の作品は、常にそんな僕たちの歪んだ、しかし純粋な願望を煽り立てた。クールな表情が、徐々に熱を帯び、理性を失っていく。その「崩壊」の過程は、他の誰が見せるよりも、何倍も背徳的で、そして何倍も官能的だった。完璧なものが壊れる瞬間の、あのゾクゾクするような快感。彼女は、僕たちに「美」の持つ、もう一つの恐ろしい側面を教えてくれたのだ。
彼女が業界を駆け抜けた時間は、その鮮烈な印象に比べれば、あまりにも短かったかもしれない。まるで、この下界に飽きて、ふたたび雲の上の自らの居城へと帰っていったかのように。
宝田もなみ。 彼女は単なる女優ではない。僕たちの心に「本物の高嶺の花」というものが、確かに存在し得るのだと刻み込んだ、生ける芸術作品だった。
今でも、あの圧倒的なシルエットを思い出す。 あの冷たい瞳が、ふと熱を帯びた瞬間を思い出す。 手の届かない存在を、ただひたすらに求め焦がれた、あの甘く切ない夜のことを、僕は決して忘れないだろう。

