ひとりの女優が名前を変えるとき、そこにはどんな心の揺れ動きがあるのだろうかと、ふと思うことがあります。かつての純真な自分を脱ぎ捨てて、まだ見ぬ新しい自分へと生まれ変わろうとする決意なのか、それとも、時代という大きな波のなかで流されまいとする精一杯の抵抗なのか。90年代の終わりに私たちの前を駆け抜けていった彼女のことを思い出すたび、私は彼女がまとったいくつかの名前と、その奥で変わらずに輝いていたあの小柄な少女の瞳を思い出さずにはいられません。
私たちが最初に彼女と出会ったのは、1997年6月15日、名門・宇宙企画からリリースされた『熱愛メモリー』という作品でした。当時の彼女の名前は「樹原まい」。1978年12月24日、クリスマスイブという特別な夜に東京都で生まれた彼女は、身長153センチという、抱きしめればすっぽりと腕のなかに収まってしまいそうなほど小柄で可憐な少女でした。スリーサイズは83・58・83。趣味はショッピングと「そうじ」だという、どこか家庭的で素朴なプロフィールを目にしたとき、画面の向こうにいる彼女が急に親しい隣人のように感じられ、胸の奥がじんわりと温かくなったのを覚えています。
「樹原まい」としての彼女は、まさに90年代後半の美少女AVの王道を歩んでいました。シャイ企画の『おやすみなさいはHのあとで』や、マックス・エーの『口唇愛』、アテナ映像の『女子校生の危ないバイト探し』、そしてビッグモーカルの『Temptation~誘惑~』。当時の有力メーカーを渡り歩きながら、彼女はその小さな身体で、少女から女へと移り変わる微妙な季節を懸命に演じていました。1997年の秋から冬にかけてはKUKIへと活躍の場を広げ、『女子校生監禁ゲーム パンツの染み』や、あの瞳リョウさんと共演したクリスマスの名作『ソンナミラーズ3』に出演。さらに翌1998年の2月にはアリスJAPANの『La女子校生ビデオ第6号』や宇宙企画の『なかよし倶楽部』に顔を見せるなど、どこまでも愛らしく、守ってあげたくなるような「妹」のような存在として、私たちの心を癒やしてくれたのです。
しかし、1998年の夏、彼女はひとつの大きな転機を迎えます。数ヶ月の沈黙を破り、7月23日にKUKIからリリースされた新作のパッケージに記されていたのは、「樹原まい」ではなく、「上原鈴華」というどこか凛とした響きを持つ新しい名前でした。
そして、その改名第一作に付けられたタイトルは『ちょっぴり大人になりました』。このタイトルを目にしたときの、胸を突かれるような切なさと愛おしさを、私は今でも忘れることができません。1997年の初夏に18歳でデビューしたあの少女が、一年という歳月を経て、さまざまな経験を重ね、名前を変えて再び私たちの前に立った。その物語そのものが、この一言にすべて凝縮されているように思えたのです。
「上原鈴華」となってからの彼女は、まさにその言葉通り、少しずつ少女の殻を破り、大人の女性としての艶やかさと危うさを身につけていきました。続く8月の『サマータイムラブ』では、真夏の太陽の下で眩しいほどの輝きを放ち、9月の『悪女になりたい』では、かつての清純なイメージを自ら裏切るかのような、妖艶な表情を見せてくれました。本当はどこまでも純粋で、趣味が「そうじ」であるような生真面目な女の子が、カメラの前で懸命に「悪女」を演じようと背伸びをしている。そのいじらしさが、見る者の胸をどれほど強く締め付けたことか。
桃太郎映像の『Bejean4』やアイデアポケットの『Angel』といった、当時の単体女優たちが憧れた人気シリーズにも「上原鈴華」として名を連ね、写真集『minet』では静かな紙面のなかにその成熟しつつある肢体を焼き付けました。また、「十文字るい」という別の名前で残した写真集『秘密の場所で』や、「木原まい」という表記など、彼女はまるで万華鏡のようにいくつもの名前を使い分けながら、あの時代を駆け抜けていきました。
そして1998年11月13日、アタッカーズからリリースされた『鬼畜輪姦15~女子高生監禁屈辱・上原鈴華~』。過酷で逃げ場のないハードな凌辱作品のなかで、その153センチの小さな身体が翻弄され、涙に濡れる姿を見たとき、私は言いようのない感情の渦に飲み込まれました。宇宙企画の爽やかな風の中で『熱愛メモリー』として始まった彼女の物語が、こうして深く暗い情念の底へと辿り着いたこと。そのコントラストの激しさこそが、90年代末という時代の残酷さと、そのなかで懸命に咲いた女優たちの儚い宿命を象徴しているように思えてならなかったのです。
1997年から1998年という、わずか二年足らずの活動期間。樹原まい、木原まい、十文字るい、そして上原鈴華。彼女がどれほど名前を変えようとも、私にとって彼女は、あのクリスマスイブに生まれた、少し背伸びをしたがる愛おしい少女のままでした。1998年の夏に「ちょっぴり大人になった」彼女の面影は、いくつもの名前の記憶とともに、今も私の心のなかで静かに、そして鮮やかに息づいています。

