青沼ちあさ──4年間の「Platonic」な季節を越えて、1997年の晩夏に舞い降りた最後のヴィーナス

90年代という時代には、今とは比べものにならないほど「境界線」にロマンが宿っていたように思います。服を着ているアイドルと、裸を見せるモデル。そして、写真の中でだけ微笑む少女と、アダルトビデオという動く映像のなかに身を投じる女優。その曖昧で、けれど決定的な境界線の上で、誰よりも長く、そして誰よりも美しく踊り続けた少女がいました。私にとって、90年代の青春の痛みと憧憬そのものだった存在、青沼ちあささんです。

1975年8月1日生まれ、埼玉県岩槻市出身。私たちが最初に彼女と出会ったのは、1997年よりもずっと前、1993年の夏のことでした。雑誌『投稿写真』8月号の巻頭特集に現れた彼女は、名付け親である写真家・古川春彦氏のレンズの前で、まるで森の奥から迷い出てきた妖精のような無垢な輝きを放っていました。

身長161センチというすらりとしたプロポーションでありながら、スリーサイズは82・58・85、バストはBカップという、どこか少女の未成熟さを残した華奢な肢体。当時の彼女は、惜しげもなく一糸まとわぬ姿を披露しながらも、決してアダルトビデオには出演しないという確固たるスタンスを貫いていました。「ヌードになるアイドル」、すなわち「ヌードル」という新しい言葉が生まれ、彼女はその象徴として、英知出版をはじめとする数々のグラフ誌や写真集のなかで絶対的なヒロインとして君臨していたのです。

1994年のファースト写真集『1975 Birth』やイメージビデオ『青い鳥みつけた』、翌1995年の『HARU YO KOI.』、木村晴氏撮影の『Platonic』、そして小沢忠恭氏撮影の『CHIASA 青沼ちあさブック』。さらに1996年の『素肌の雫』やオリジナルビデオ『夢で逢いましょう』、1997年春の劇場版映画『痴漢白書 劇場版 笑顔でサヨナラ』に至るまで、彼女は4年もの長きにわたり、私たちの「手の届かない憧れ」であり続けました。写真集のタイトルにあった『Platonic』という言葉通り、たとえどれほど肌を露わにしていても、彼女の周囲には決して誰も踏み込むことのできないプラトニックな聖域が張り巡らされているように感じられたものです。

だからこそ、1997年8月、クリスタル映像のヴィーナスレーベルから彼女が突如としてAVデビューするという知らせを聞いたとき、私の心は激しい歓喜と同時に、何か大切なガラス細工が砕けてしまうかのような複雑な動揺に揺れました。4年間も守り続けてきたあの聖域を、彼女はついに自ら解き放とうとしている。その事実が、1997年の晩夏の空気をひどく息苦しく、そして甘美なものに変えたのです。

1997年8月14日にリリースされた記念すべきデビュー作『ヴィーナス誕生 女子校生ちあさ そばにいてあげる』。続く9月の『女子校生ちあさ 風に恋して』、そして11月の『女子校生ちあさ 君を知りたい』。彼女が残したアダルトビデオは、このわずか3本だけでした。

世間の評価や歴史の記述だけを紐解けば、これら3作品はいずれもソフトな内容にとどまり、過激さや直接的な快楽を求める当時の視聴者からは、必ずしも高い評価を得られなかったと言われています。しかし、1993年からずっと彼女の背中を追い続けてきた私にとっては、あのソフトでどこかぎこちない映像こそが、青沼ちあさという少女が私たちに見せてくれた最大限の誠実さであり、涙が出るほど愛おしい記録でした。

もしあのとき、彼女がこれまでのイメージを完全に破壊するようなハードな作品のなかで乱れきっていたとしたら、私たちはきっと別の意味で傷ついていたはずです。カメラの前で少し戸惑いながら、それでも「そばにいてあげる」「君を知りたい」と語りかけるように演じる彼女の姿には、4年間築き上げてきた「ヌードル」としての誇りと、ファンへの最後の贈り物としての優しさが滲んでいました。すべてをさらけ出しきらない、あの淡い水彩画のような3本のビデオは、彼女が自分の純潔を守り抜いたままAVという境界線を飛び越えてみせた、奇跡のような綱渡りだったのだと思います。

3作目をリリースした1997年の暮れ、彼女はまるで役目を終えた天使が天へと帰るように、事実上の芸能活動を停止しました。あの突如としてのAVデビューは、彼女が長い芸能生活に自ら幕を引くための、美しき終着駅だったのかもしれません。それからしばらくの沈黙を経て、ミレニアムを迎えた2000年3月に3作品を収めたDVD『Crystal Platina Collection 青沼ちあさ』が発売されると、翌4月、彼女は自身のブログで正式に引退を発表し、完全に私たちの前から姿を消しました。

1993年の夏に現れ、1997年の冬に去っていった伝説の少女。彼女が最後に残した3本のビデオは、私にとって単なるアダルトビデオではなく、ひとつの時代の終わりを告げる切ないラブレターのようなものでした。今でもふと、写真集『Platonic』のページをめくり、そして1997年のあの夏に届いた『ヴィーナス誕生』のパッケージを思い浮かべるとき、どんな時でも涼しげで、どこか遠くを見つめていた青沼ちあささんの瞳が、私の胸の奥を静かに、そして温かく照らしてくれるのです。